0629 中山道深谷宿

中山道深谷宿にある、深谷シネマを訪れた。深谷宿には、2007年に中山道の宿場町をテーマに卒論をまとめる際に訪れて以来、4年ぶりの再訪で、何だか懐かしく、嬉しい。
前回訪れたときの記憶では、旧くて造りの良い建物が散見される町並みで、煉瓦を用いた建造物が多くあったという印象。そして、旧銀行らしい建物にあった深谷シネマのことが思い出される。
今年、この建物は前面道路拡幅にあたり取り壊されることとなった。そこで、現在は七ッ梅という旧酒造の酒蔵を映画館に改装、ここへ移転となったのだった。
深谷シネマ → http://fukayacinema.jp/


当日は「深酒シネマ」というイベントがあり、“バスターキートン無声映画上映ピアノ伴奏”と、僕にとっては全く聞きなれない内容が興味深く、企画者の方とお会いすることを楽しみに伺った。実際に、映画の進行とピアノの生演奏のやりとりは楽しく、嬉しい体験だった。
企画者の方のビジョンも勢いのあるもので、刺激を受けた。また、深谷シネマ館長はじめフィルムコミッションの方々のお話し、旧・七ッ梅酒造の敷地を下見に来ているロケハンのスタッフが来られていたなど、深谷と映画の関係は興味深かった。深谷は、映画の撮影場所としてよく利用されるそうだ。深谷に残る歴史の色濃さがウケているのだろうし、建造物は傷んだそのままに、変に脚色されず自然なところがきっと良いのだ。しかしもっと重要なことは、民間で活動しているフィルムコミッションの仲立ちあってこそだという。時に自らエキストラとして出演するなど、彼等の活き活きとした取り組みが、深谷と映画をより強く結ばせているのでした。育まれてきた資産をもっと上手く、円滑に運用する術を考える、とても大切なことを再認識した。
>深酒シネマ → http://xn--bdkla7gya.com/


>旧・七ッ梅酒造

>同アプローチ

>同町家のヴェランダと中庭

>同裏庭?


今回は少し時間不足で、余り町の中を歩いてまわれなかったが、それだけでもたくさんの魅力的な建物が見られた。
深谷は、見世蔵と煉瓦を用いた建造物が多いという点では、茨城県の古河などと雰囲気が似ている。古河の場合、隣接する野木町に下野煉化製造会社があり、深谷には渋沢栄一が創設した日本煉瓦製造会社がある。両町は近代を代表する建材の生産地であるという点で共通する。
>煉瓦について詳しい:
http://www.geocities.jp/fukadasoft/renga/fukaya.html


また、外壁をモルタルで仕上げた建物も多い。これも調べてみると、お隣の本庄宿には諸井家という旧家があり、県指定文化財になっている。ここは、明治12年(1880)頃に諸井泉衛が横浜の洋館を手本として建て、本庄宿第1号の特定郵便局だった。そして、ここで育った諸井恒平はのちに「セメント王」とよばれ、姻戚関係のあった渋沢栄一が彼の面倒をみた。ここに本庄宿と深谷宿を結ぶ近代の物語があり、セメント・煉瓦を多用した町並みが、それを物語っている、と言っても良さそうだ。
>諸井家について(本庄市HP):
http://www.city.honjo.lg.jp/kurasi_info/kankou/rekisi/old_honjo/h_kindai.html
>諸井恒平について:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E4%BA%95%E6%81%92%E5%B9%B3


>煉瓦蔵とモルタル仕上げの店舗、シックな色合い

モルタル仕上げの店舗、昔の時計店?写真館?のようにも見えるが・・・今はお弁当屋さん

>隣が空き地だからこそ映える、煉瓦蔵と緑と


本庄宿の諸井家は、町家の裏にヴェランダを設えた珍しい造りとして知られるが、前述の旧・七ッ梅酒造もなんとヴェランダを設えていた。とすると、この地域には、他にもヴェランダを摂取した町家があるかもしれない(という期待が湧くのは当然)。表通りを歩くだけでは気づけないところが、探究心をくすぐりますヨネ。また、町家には「うだつ」のように袖壁をつけるものも多く、煉瓦を材料に用いるあたり、これも一種の洋風摂取といえよう。
>ヴェランダについて:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80


>旧・七ッ梅酒造のヴェランダ(詳細)

>煉瓦の袖壁をもつ町家


さすがは中山道中きっての宿場町であり、実業家を輩出した地域だけある。西洋式の建材を生産しながら、旧来の建築形式に西洋趣味を好んで摂取したからこそ、複層した豊かな文化が醸成され、深谷らしいまちの匂いが漂っているのでした。
建物を撮ろうとカメラを構えていると、遠慮して立ち止まってくれた和服姿のおばさまに話しかけられた。聞くと、四国から来られたという。おばさま曰く、観光を楽しみに来たのに、地元の人に見所を・・・と聞いたら、何もありません、というような言葉が返ってきて、遣る瀬無い気分だったそうだ。
目の前の建物を話題にしつつ、地元の人には我がマチ自慢をしてもらいたいですね、と言って別れたのだった。