0606 ウォーキングイベント@都賀町・前編

写真はフォトアルバムの方にもありますので、併せてご覧ください。
http://f.hatena.ne.jp/mach-i-naka/%E9%83%BD%E8%B3%80100606/


6月6日の日曜日、男体山もよく見えるほどの快晴のなか、例幣使街道を歩くイベントに参加した。これは、栃木市でまちづくりに取組まれている、ネットワークとちぎhttp://www.cc9.ne.jp/~networktochigi/さんが企画されたもので、合併によって新しく栃木市の仲間入りをした、旧都賀町を見に行こう!と、例幣使街道を新栃木駅から家中まで辿るという内容だ。
旧栃木町は、例幣使街道の宿場町エリアを中心に、見世蔵をはじめとした歴史的な建造物が多く残る町だが、旧都賀町にも例幣使街道仲間として、かつての宿場町である合戦場宿があり、その他の街路村もその仲間として、現在の町並みの歴史的基盤を成している。
さて、写真も使いながら、街道歩きを振り返ってみよう。まず、集合の新栃木駅から東武線沿線を歩き、例幣使街道に入るルートをとった。その途中で、栃木卓球センターが目に留まり、東武線が日光方面と宇都宮方面に分かれる辺りの風景が良かった。




田植えを終えて間もない、田んぼの水面の色もきれいだった。用水が引けない土地なのか、井戸ポンプが散見された。それとも他に用途があるのか、気になる。小屋の中はどうなっているのだろう。



栃木宿とお隣りさんの合戦場宿まではさほど時間はかからない。途中にあった墓地はなかなかの雰囲気だった。
会の代表であるSさんや、合戦場の町に詳しいAさんが「遊廓、遊廓」とおっしゃっていたが、かつて花街だった通り(以下、「花街通り」と勝手に称す)を歩くと、散見できる古そうな建物は、確かにそんな風に見える。



花街通りは、合戦場宿の町並みの西側後背にあって、例幣使街道と平行に南北に通っている。また、例幣使街道から西側に延び、花街通りを結ぶ通り沿いには、板塀が続いて良い雰囲気だ。
合戦場に詳しいAさんによれば、合戦場には例幣使街道から東に外れたところに、中島飛行機栃木工場(栃木富士産業)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E6%A9%9Fが造られたり、一時は町に米兵がいたことや、彼らが遊廓で遊んだ話しなどを伺った。実際に、地元のご高齢の方から当時のお話がまだ聞けるようで、これは興味深い。



磐根神社に向かう途中には、参加者の注目を集めた、大貫商店がある。



磐根神社に立ち寄ったあと、東武線の西側に沿って合戦場駅まで歩く途中、爽やかなテニスコートがあり、こんな陽気のためか、天地真理さんの『恋する夏の日』http://www.youtube.com/watch?v=fdMWKeT3g4Aの、あのフレーズが頭の中で流れた。



さて、駅の東口で小休止ののち、例幣使街道と駅を結ぶ、駅前通りの雰囲気を楽しみながら裏道へまわり、例幣使街道へと戻る途中、この町にも様々な歴史資産が残されていることを知る。
中でも、参加者のハートを射止めたのは、「家中村警防團」と書かれた、古風な器具庫だ。その前で記念撮影をするNさん、小柄なためか、ナチュラルな服装のためか、建物にとても似合っている。はい、失礼しました。





この辺りは合戦場宿の中心部で、小平浪平生家の立派な屋敷がある。小平浪平とは日立製作所の創業者http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B9%B3%E6%B5%AA%E5%B9%B3であり、なるほど先ほどの中島飛行機栃木工場も含めて、合戦場には産業についての面白い物語が眠っていそうだ。




そして、合戦場宿の町並みを振り返り眺めつつ、先へと歩を進める。



忘れてはいけないのが、合戦場に詳しいAさん談、中島飛行機栃木工場への延びる道は、かつて戦車が通れるよう、当時としては道幅を広く、また車面も頑丈に造られたそうで、「ここを戦車が通ったんだ!」と熱く語るAさん、ツワモノである。



(後編へ続く)